最近はもうすっかり記録野郎になっている。
卒業制作をすすめていることも大きく関係しているのだけれど。
どこに行ってもなにをしててもパシャパシャ。周りの友人らは、もう
だいぶ慣れたようでレンズを向けても怯まない。それでさらにパシャ
パシャ。林家パー子のように奇声は発していないけれど、パー子レベ
ルでシャッターを切っている。動画も合わせて、パソコンをどんどん
重くしていじめている。外付けハードディスクの容量も空きがだいぶ
少なくなっているけれど、記録は癖になっていて止まらない。
記録は、誰かと共有できるというのも、ひとつのポイントになってい
るかもしれない。
記録したものを家に帰って観るという行為は、わたしにとって記憶す
るに等しい。(言わば、思い出のように記憶に残すことなのだけれど
も、どうも思い出という言葉は、過去すぎてあまり好みではないので
記憶するという表現を使う。)
記憶はわたしの中身を満たしてくれる。そんな錯覚に陥っている。
村上春樹の『海辺のカフカ㊦』にこんなセリフがあった。
「思い出はあなたの身体を内側から温めてくれます。でもそれと
同時にあなたの身体を内側から激しく切り裂いていきます。」
記憶には思い出のように感情が強くついてまわらないけれど、中に留
まって温めてくれることに変わりはない。